プロフィール

坂本明宏のプロフィールページへようこそ!

「坂本明宏」という男について

どうも!坂本明宏です。興味を持ってくださってありがとうございます。

 

歌を歌うことが大好きで、“歌を歌って生き続ける為””歌を歌って夢を叶える為”に、あれこれ知恵を働かせ、とにかく動き続け、波乱万丈ながらも、楽しみつつ歌を歌って、2010年から、10年食べ続けてきた者です。

 

現在は音楽活動と並行して、ブログやTwitterなどで、「背中を押すのに繋がる発信」を合言葉に、人生哲学や、心理など、経験や学びから得てきたことの、執筆活動にも”新たな挑戦”として力を入れて取り組んでいます。

 

夢は叶えてきましたが、順風満帆というわけではなく、何度も失敗し、挫折しかけ、人にも色々ご迷惑をお掛けし、辛く悲しい思いも経験しながら、転んでは起きを続けて歩んできたこれまでです。

 

そんな僕のことについてですが、少しばかり書かせて頂きますので、お付き合い頂ければ嬉しいです。

 

ページの内容

過去の主な活動実績

・音楽活動を始めたきっかけと、今に続く原点

・音楽一本での活動スタート。とにかくコツコツ歌って、歌って

・大きなホールで歌いたい!1年で動員13名→700名へ

・「中野サンプラザ」、「赤坂BLITZ」夢は叶えて来た。けれど、どんどん孤独に

・見えてる世界は全て自分次第だと気付きネガティブ脱出!(笑)

・ブログ、Twitterでの情報発信に力を入れてるわけ

・もう少し細かい性質について

・「坂本明宏」という男についてのまとめ

・SNS・WEBSITE

・お仕事のご依頼について

 

改めまして、坂本明宏です(笑)。

 

東京都立川市出身(生まれは八王子市)です。
独学で作詞、作曲をして歌を歌い、10年食べて来ました。ギターも独学で23歳頃から弾き始めました。

 

趣味は読書と旅行で、ビジネス、心理学、哲学などの書籍をよく読みます。旅行も好きで、歴史好きなので、お城のある町が大好きです。あと、割と山近くの生まれ育ちなので、美味しい海の幸が食べられる所はたまりません(笑)。

 

高校卒業まで野球少年でした。小学生・中学生の頃は日本代表として、アメリカ・台湾へ遠征、高校3年時は、夏の甲子園予選西東京大会ベスト8と、まさに野球に青春を懸けてきた少年時代でした。

 

そんな少年時代でしたので、今の自分を、当時は想像したこともありません(笑)。

 

以下、これまでの歩みについて書かせて頂きます。

 

過去の主な活動実績

まずは、これまでの主な活動実績について書かせて頂きます。

 

インディーズ全国CDチャート売上「首位」記録

2010年5月19日にデビューシングル「FRIENDSHIP」をリリースしました。

 

発売翌週の2010年5月26日付けのインディーズ全国CDチャートにて売上「首位」を記録しました。(総合チャートでは「38位」を記録・新星堂調べ)

 

(デビュー当初はアーティスト名「HiRo」で活動してました。2010年いっぱいまで。)

 

CD屋さんで自分のCDが棚に並んでたり、自分の名前が、有名アーティストと並んでチャートに載るなんて、当時は本当に夢の様でした。

 

ちなみに、個人で活動のアーティストがCDランキングで売上1位を獲得した方法といった参考記事も書いてます。

 

余談。


2ndシングルもインディーズチャート2週連続「2位」の売上を記録し、いよいよアルバイトを辞めて音楽一本の活動に絞ったのですが、その時、最初にやったのは新聞社、出版社への挨拶回り。

 

ほぼ”飛び込み”の様な形で回らせてもらったので、門前払いの相手も多かったですが、お会いしてくれたある記者さんから、

 

“事務所に所属せず個人でやってるんだよね?個人でやっててチャート首位になった人なんて今まで見た事も聞いた事もないよ!何でもっと早く情報を持ってこなかったの?!そんなネタ、大々的にやってあげられたのに!」

 

この時はじめて“プレスリリース”というものの存在を知りました(笑)。そしてどうやら情報は“生モノ”とのことで、旬な情報で無いと記事に出来ないということでした。そんな事も知らずにタイミングを逃したのも、今では笑い話(笑)。

 

情報発信はほんと大切だと学ばせて頂きました。

 

 

現在シングルCDは 公式オンラインショップ のみでのお取り扱いですが、
アルバムは全国のCDショップやAmazonなどでも販売してます。

 

”癒やし効果”に定評がりますので、ご興味あれば是非聴いてみてください

 

 

 新聞やWEB掲載、メディア出演

CDチャートの実績や、チャリティー活動などが、「東京新聞」「Yahoo!ニュース」「立川経済新聞」などに記事が掲載され、ラジオなどのメディア出演も数多くさせて頂いて参りました。

 

 

『父からの最後の贈り物』

2011年6月に、父が他界したのですが、亡くなった翌日に東京新聞さんから記事掲載のご連絡を頂きました。親不孝ばかりの人生でしたので、“新聞に載せてもらえるようになれたよ”と最後に父の棺に入れて一緒に送ってあげたいので、とお願いをさせて頂いたら、支局長さんがご配慮してくださり、出棺当日の朝刊に記事を掲載してくれ、最後に父に報告をさせて頂くことが出来ました。

もしかしたら、父からの最後の贈り物、最後の励ましだったのかも知れないなと思ったりもします。

 

「中野サンプラザ」、「赤坂BLITZ」でワンマンライブ開催

2017年に「中野サンプラザホール」、2019年に「マイナビBLITZ赤坂(赤坂BLITZ)にて念願だったワンマンライブを開催しました。

 

 

事務所に所属しないフリーの個人アーティストで、「インディーズCDチャート首位」、「中野サンプラザホール」ワンマンライブ、「赤坂BLITZ」ワンマンライブを自力でやっているのは、おそらく日本で僕一人くらいだと思います。

 

音楽を始めた時、“いつかは大きなコンサート会場で歌えるようになりたい”と夢を見続けて来ましたが、それだけ、無鉄砲で無茶苦茶駆けずり回ってきたという自分の人生の証(笑)。

 

「君に、ありがとう」通信カラオケ入り

オリジナル曲「君に、ありがとう」が通信カラオケ「DAM」、「JOYSOUND」で現在配信中です。

 

ある方から、通信カラオケ「JOYSOUND」の営業所の所長さん(当時)をご紹介頂き、”所長推薦”ということでオリジナル曲「君に、ありがとう」がカラオケ入り。

 

その後、所長さんが独立し会社を起こされた際に、大手通信カラオケ「DAM」にもご推薦頂き、現在両メーカーにて歌うことが出来るようになりました。

 

お力添えを頂きましたお二方に、この場を借りまして改めて御礼を申し上げます。

 

テレビ番組の挿入歌、エンディングなど音楽使用

テレビ番組の挿入歌や、エンディングも担当させて頂いて参りました。J:COM TV の「空から紀行」という番組内で4曲がBGMとして採用。

 

同じく、J:COM TVのアニメ「アストロロジー~おかしな12星座占い~」という番組で、現在エンディングを担当(作詞・作曲・歌)させて頂いています。

 

主な活動実績を書かせて頂きました。
更に詳しい活動の実績についてはこちらにてご覧頂けるので、ご興味あれば。

 

音楽活動を始めたきっかけと、今に続く原点

野球少年だった僕が、そもそもどういうきっかけで音楽始めることになったのか。今に続く原点は何か。そのことについてお話してみたいと思います。

 

きっかけは高校時代の文化祭

僕が音楽を始めるきっかけとなったのは、高校3年生の時の文化祭。クラスメイトで軽音楽部でバンドを組んでる友人が居て、その彼に“文化祭で歌ってみる?”と誘ってもらったのがきっかけでした。

 

校舎内にある「講堂」が文化祭のライブ会場。野球部の仲間や後輩併せて50名が仲間を誘って見に来てくれたので、あっという間に150~200名位は講堂に集まってたんじゃないかなと思います。

 

その時のバンドはGLAYやX JAPAN、LUNASEA、Mr.Bigなどロックバンドのコピーバンド。無茶苦茶盛り上がりました。

 

このライブでの忘れられない経験が、僕が“歌手になりたい”と思わせるきっかけとなりました。

 

芸能事務所所属

歌手を志望した僕は、オーディション雑誌を買い込んで、とにかくデモテープとプロフィールを送る日々。”思い込んだらすぐ行動”というのが僕の基本スタンス(笑)。

 

でも、送っても送っても”全部不合格”。というか、返事すら返ってこない(笑)。

 

そんな時、ある事務所から二次審査の連絡をもらい、審査を経て晴れて合格。19歳の時に、芸能界の扉を叩くことになりました

 

しかし、事務所に所属したものの、仕事といえばたまにあるエキストラの仕事ばかり。あとはレッスンに通うだけの日々。

 

結局この最初の事務所は1年で辞めることになります。

 

原点。改めて芸能事務所への所属

最初の事務所を辞めて、2年ほどフリーター活動をして22才になっていました。

 

芸能への未練を断ち切れなかった僕は、最初の事務所時代にお世話になったことのある制作会社に、“仕事を下さい”と電話をしてアポを取り、その後、まずはその会社が関わっている番組の制作に携わらせてもらうという経験を積むことに。

 

「笑っていいとも!」、「SMAP×SMAP」、「金スマ」、「ガキの使い」など、様々な人気バラエティ番組の制作協力に、当時の専務のアシスタント的に関わらせて頂きました。

 

その会社は、事務所としてアイドルグループも育てており、後に、僕も所属タレントの一員となり、ラジオ番組のパーソナリティーや、たくさんのステージでのライブ活動などを経験させてもらうこととなりました。

 

高校時代の文化祭ライブがあって、芸能事務所に所属して活動をして。それが、僕が音楽活動を始めたきっかけと、今に続く原点。

 

音楽一本での活動スタート。とにかくコツコツ歌って、歌って

2010年に独立して自主レーベルを立ち上げ、CDデビュー。アルバイトを辞めて音楽一本での活動をスタートさせました。

 

とはいえ、右も左もわからぬフリーでの活動。生きてく為に、とにかく我武者羅に歌い続けて来ました。

 

路上ライブだけで生計を立ててた時代

アルバイト生活を抜けて、音楽一本でやっていこうと思ったのには、CDをリリースした以外にも理由があって、それはある女性路上シンガーのブログでした。

 

その方のブログを見ると、毎日の様に路上で歌い、連日30~、多い時には100枚のCDを売り上げるという凄まじさ。根が楽天的な僕は、“俺にも出来るんじゃないか?!”と、やっぱりすぐに行動(笑)。

 

毎日コツコツと路上に立ち、長い時は5時間でも、6時間でも歌って、投げ銭やCDの売上の日銭で生計を立てていた時期がありました。(今でもたまに路上に出現します。原点回帰(笑))

 

 

飲食店での投げ銭ライブ時代

路上ライブだけではなく、地元の飲食店を中心に、多い年で年間130本ほど、「投げ銭制」でライブをさせて頂き、生計を立てさせて頂いていた時期がありました。

 

 

毎月レギュラーの様に歌わせて頂くお店が数店あり、人の紹介でどんどん歌えるお店も増えていきました。

 

それと同時に、ありがたいことに、歌い終わった後にお客様からお酒や食事を頂く事も多く、嬉しい&少しでもお店の売上に繋がればと、どんどん体重も増えていきました(笑)。

 

そうやってコツコツ歌って、歌って、音楽一本で生き抜いてきた時代がありました。

 

大きなホールで歌いたい!1年で動員13名→700名へ

”大きなホールで歌いたい”という思いは持っていましが、2015年以前は、どんなに頑張ってもライブには「10人」ほどの集客しか出来ませんでした。ライブにお客さんが誰も来ず、動員「0人」という挫折も経験しました。

 

お客さんの言葉がきっかけ

しかし、そんな僕に転機が訪れたのは2014年。ファンの方からの「ホールで歌ってる姿が見てみたい」の一言がきっかけでした。

 

そして、2015年5月。約4年ぶりにホールでのワンマンライブを開催しました(立川市市民会館 小ホール)。

 

このライブ開催直前のライブでは(2015年3月開催)、お客さんはわずか「13人」しかいませんでした。それでも2ヵ月後、5月のホールライブでは「100名」ほどのお客様が集まってくれました。

 

そして、そのライブ当日のMCで僕が発表したのは、
翌2016年に「立川市市民会館 大ホール」でのワンマンライブの開催をするというもの。

 

最大動員1,200人。当時の僕にとって、人生初と言ってもいいほどの大勝負でした。”武者震いがする”という思いを初めて理解できました(笑)。

 

死ぬ気で動けばなんとかなる

2015年~2016年にかけて、とにかく今までに無いくらい我武者羅に動き回りました。何せ100人集客するのもやっとの男が、一年後には1,200人の箱でワンマンライブを開催する訳ですから(笑)。

 

僕は変な意地っ張りなところがあって、世の中には”ワンマンライブ”と言いつつ、様々なゲストを呼んで、集客をする企画も多かったりしますし、そういうことをアドバイスしてくださる方も事実いました。

 

それが悪いと言う訳ではないのですが、”それはワンマンじゃねぇだろう!”という偏見を持ってましたので(笑)、”絶対に坂本明宏の単独でやるんだ!”という強い信念を持って動いていました。”強迫観念”と言ってもいいくらい(笑)。

 

結果として、翌年5月には「700人」を動員しワンマンライブを開催しました。「完売」とまでは行きませんでしたが、それでも100名集めるのがやっとで、なんなら1年前の3月には13人しか集客出来なかったところからの「700人」。

 

集客伸び率、約「54倍」

 

【集客UP】1年で13⇒700名までライブ集客を上げた方法を教えますの記事でも集客の為に動いた方法を紹介していますが、”死ぬ気で動けば何とかなる”というのを実体験で経験をしました。

 

「中野サンプラザ」、「赤坂BLITZ」夢は叶えて来た。けれど、どんどん孤独に

2016年の「立川市市民会館 大ホール」ライブの勢いに乗じて、どんどん活動を拡げ、会場のキャパも大きくして挑んでいきました。

 

夢を次々と実現させた

”大きなホールで歌える歌手になる”という夢を叶えることに必死でコミットした結果、2016年の立川市市民会館大ホールでの開催をきっかけに、4年間の内に、中野サンプラザホール、マイナビBLITZ赤坂(赤坂BLITZ)と、念願だった有名会場でのワンマンライブ開催を実現させて来ました。

 

2015年以前には、どこかで諦めかけてしまってきた夢。強い意志と行動が伴えば必ず夢は実現するということを実体験することが出来ました。

 

夢は叶えてきたはずなのに、何かが違う

当時、僕が選んだのは、自分のキャパ以上のサイズの箱ばかりでの挑戦。しかも、フリーの僕にはマネージャーもバンドメンバーもいないですし、変な信念を持っている訳なので(笑)、一人で1年懸けて死ぬ気で集客の為のプロモーションに駆けずり回る日々。

 

とにかくたくさんの人と会いました。当時は1年で2,000~3,000人の人たちと名刺交換をしたりして、お会いする機会があったと思います

 

当時の僕は“直接の繋がり”のある人を増やすことで、”大きな動員に繋げていく、大きな夢を叶えていく!”そんな風に思っていました。

 

お陰さまで、それはそれで、集客の結果や、方法を学ぶ事は出来ました。でも、そもそも根本であるはずの、“本当に楽しんで音楽をやっていたか?”と聞かれたらわかりません。

 

”自分の都合”ばかりになってしまっていった

正直、当時は集客しか頭にない状況だったので、”ライブに来てくれる人は良い人。来ない人はどうでも良い人”という価値観で生きていて、今思うと、性根が腐ってしまってたのも事実。

 

毎年数千人規模の人と直接お会いしましたが、知り合いとも呼べない様な関係も増えていきますし、新たな出会いに時間を割き、濃かった人達とも、次にお会いするまでの期間が長くなってしまい、そのまま疎遠になってしまう人たちもいました。

 

焦りも当然ありましたので、周りの人たちを自分の都合に巻き込んで、ご迷惑をお掛けすることなどもありました。そして、人間関係にヒビが入り、周りから人が去っていくという辛く悲しい経験もしました。

 

負のスパイラルに陥る

人間関係のストレスから、とにかく人が信用できなくなり、“あの人もどうせこうなんだろう”、“どうせこういう目的で近付いて来てるんだろう”という、疑心暗鬼に陥り、心の腐った日々を過ごすようになっていってしまいました。

 

自分の蒔いた種が、どんどん、どんどん、自分を追い詰めていき、”もうどうでもいいや”と投げやりな気持ちになっていった時期がありました。

 

見えてる世界は全て自分次第だと気付きネガティブ脱出!(笑)

そもそもの僕はどちらかと言えば、超楽天的な性格(笑)。しかし、ある時期、”何をやってもうまくいかない”とネガティブな悩みを抱える日々が続いていました。

 

そんな日々からの脱却を図って、僕は下記の行動を取ります。

 

人間関係の整理

SNSの運用と、人間関係をちゃんと整理し、見直すことをしました

 

SNS経由などの連絡先だけでも数千人規模ありましたので、大変失礼で申し訳ないとは思いつつ、1年以上お会いしてなかったり、連絡が途絶えてしまっていた方は連絡先の整理をさせて頂きました。

 

数千人あったメモリーを整理した結果、残ったのは80人程度(笑)。その中でも、本当に濃い人となると、10人程度しかいないのではないかと思います。そんなもんなんです。実際付き合いのある人数って。

 

人付き合いを拡げることに意識が向いてましたが、どんな風に付き合っていくかの「質」にこだわることが、ホント大事なのだと気付かされました。

 

読書からの気付き

ずっと一人で活動をしてきたので、僕にはメンターと呼べる人もいなければ、相談できる人もいませんでした。全て自分で考え、悩みも、事業への取り組みも一人で解決してきました

 

そんな僕に、ある一冊の書籍が変えるきっかけをくれたのですが、その書籍から学んだのは“「自分」とは、自己イメージが勝手に作ってる思い込みで成り立っている”ということ。

 

良い事も悪い事も、全部自分の思い込み次第。思い込み次第で見える世界が変わる。


”腑に落ちた”というか、これは本当に大きかった。そう気付けたら、なんだか全部スッキリしてしまって、”僕は一体何をしてたんだろう?”って。

 

そうなると、一気にネガティブから脱出(笑)。元々、根は「楽天的」なので理解できるとそっち方向に進む速度は速いんです(笑)。

 

絶好調に活動中!

現在は、音楽活動、ブログ執筆など絶好調に活動中です。様々な新たな取り組みにも挑んでいて、毎日を充実させてる最中です。

 

と、ここまでの流れが僕、坂本明宏の現在に至るまでの、大まかな歩みの流れとなります。

 

ブログ、Twitterでの情報発信に力を入れてるわけ

音楽活動と並行して、現在僕が力を入れているのが、ブログ、Twitterでの情報発信。では、なぜ情報発信に力を入れているのか。

 

僕の経験は特別なことじゃない

夢を描いたり、大きな壁を乗り越えようと思ったり、人間関係で悩んだり、様々な葛藤や不安を抱えたり。そういったことって、職種や年齢・性別が違っても、どんな人にもあてはまることかなと思いました。

 

だったら、自分の経験からの、僕なりの学びや解決策などでも、発信することで、誰かの役に立つ事もあるんじゃないか?

 

そんな風に思って、情報発信に力を入れていこうと思うようになりました。

 

ある人が言っていたのですが、“ブログやTwitterは過去の自分へメッセージを送ってあげればいい”と。

 

そんな思いで、現在、ブログ、Twitterでの情報発信に力を入れて活動をしています。

 

もう少し細かい性質について

ここまで触れた内容にプラスして、もう少し細かい「坂本明宏」の性質については下記の通りです。

 

・小・中学生時代、生徒会長を務める。

・中学・高校時代、常に学年で成績TOPなほど、歴史(日本史のみ)は大好きな教科。(戦国、明治維新が特に好き)

・小学生の頃にTVで「白虎隊」を見て以来、会津好きが高じて歴史好きに。

・物欲や趣味が無く、好きなことが生業になってるので、稼いだお金は基本仕事関連へ。

・基本的にはテキトー。ただし、こだわりを持つと時間も気にせず徹底的。

・目標を立てたらやり遂げるまでとにかく考えて動く。

・2020年は読書200冊を目標にしている。

 

こんな感じとなっています。

 

「坂本明宏」という男についてのまとめ

僕、「坂本明宏」という男について、ここまで書いてきましたが、まとめると下記の通りとなります。

 

・インディーズCDチャートで売上「首位」を記録(新星堂調べ)

・「中野サンプラザ」、「赤坂BLITZ」でワンマンライブ達成

・オリジナル曲「君に、ありがとう」がカラオケ入り

・テレビ番組の挿入歌や、エンディングを担当

・高校時代の文化祭がきっかけで歌手を目指し、芸能事務所に所属してからが今に続く原点

・路上ライブや、飲食店での投げ銭ライブだけで生き抜いてきた時代がある

・夢を実現していく中で、悩みや葛藤や心が腐った時期がある

・試行錯誤して解決策に辿りつき、悩みや葛藤、心のモヤモヤを解消した

・読者や、過去の自分へ向けて、経験や学びなどをブログやTwitterで情報発信中

・音楽活動、執筆活動に精力を注いでる最中

 

こんな感じが、僕、「坂本明宏」です。長文をお読み頂き、ありがとうございました。

 

下記では、SNSやWEBSITEについて触れています。是非フォローして情報を受け取ってもらえたら嬉しいです。

 

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